2012年06月05日

病歴3

では、病歴続けます。

●25歳

結局導引術では治らなかったので、友人から紹介された次の治療へ・・・


・薬師導引道場

導引と名がついていますが、24歳の時に頑張ってた導引術とは全く関係ないものです。なので、導引術とは全くの別ものと考えてください。

静岡のけっこう県外から公共交通機関で行くには不便なところにありました。
因みに、記事書くにあたりネットで調べてみましたが、先生が亡くなられて閉鎖になったようですね。

で、ココでの治療は・・・


病院でもらった薬は禁止

道場オリジナルのイオン水を飲む。イオン水とは、茶色くて、鉄みたいな変な味の謎の液体で、薄めて飲むのです。1本8000円で1ヶ月くらいもつ。

根昆布(?)を水に浸けて置くと水に昆布のエキスが溶けてくるので、それを毎日飲む。

あと、うろ覚えですが、確かそこでは「岩の花」と呼んでいた黄色い粉末が入った軟膏も使ったかと思います。

すみません、ここの治療は具体的にはあまり覚えておりません。


さて、自宅に帰ってから早速ステロイド断ちです。
さあ、来ました、いわゆるリバウンド。
当時リバウンドのことなんて何も知りません。全身が真っ赤な皮膚炎になって、リンパ液も滲んできます。
道場に電話して問い合わせてみたところ、それは毒素が出ているところだから出しなさいとのこと。
日に日に悪くなり、ピークにヒドイ時は多分1週間か10日くらいかと思うけど、そのときは寝たきりのような状態になり、とくにそのうちの数日は今が昼なのか夜なのかもよくわからなくなり、なんとなくもう一人の自分が寝たきりになってる自分を見下ろしているような感覚を覚えたりしました。

でもまあ、それを過ぎたら徐々にラクになって行きました。

その間、期間にして1ヶ月から2ヶ月たたないくらいだったかと思います。

先生のおっしゃるところの毒素を抜いたわけですが・・・・

アトピーは治りませんね。
よく脱ステした人が言うような皮膚が強くなった感じとか全くないし、顔は赤いし。

脱ステ数ヶ月たって、一日6時間程度のアルバイトを近所で始めるくらいになり、ようやく社会復帰の第一歩を踏み出しました。とは言っても、誰が見てもアトピーってわかる状態でしたけど。
人と顔を合わせなくてもできて、体力を消耗しない仕事ってことで、テレアポの仕事でした。
実は23歳の頃から東京に出てやりたいと思ってる仕事がありました。(だからそれがアトピーに足止めされててとても辛かった)
怠け病とよく言われてたので、「東京に出て、次にまたアトピーが出て仕事ができなくなったら、殺すからな!」と自分の体によく言い聞かせて上京しました。自分の体が怠けたくて病気になるのだと言われてましたから、自分の気持ちが本当に強くなればこの意味不明の病気が治るかもしれないとも思いましたし。


25歳のときに他に試したものは・・・


・キチンキトサン

サプリですね。
昔は今みたいに宣伝文句の規制がないですからね。「アトピーに効く!!」とか随分煽ってましたが・・・
可もなく不可もなく・・・・




●26歳〜30歳

東京(というか、埼玉県は所沢市なんですけど)へ引越し。フルタイムでお仕事。
仕事はとにかく拘束時間が長く。朝9時から夜8時とか9時とか10時とか。最初の1年は月の休日が1〜4日くらいでしたね。
調子よくやれたのは最初の2ヶ月くらいで、あとはやはり皮膚炎との戦いでした。顔の赤みが強いのがイヤでしたね。
しばらく薬師導引道場のイオン水を飲んでいましたが、結局どんどんまた悪化してくるし、これは効かないものだと判断し、やめました。


・液体のカルシウム、ササヘルス

職場近所の薬局でアトピーに良いと勧められて始めました。
カルシウムのほうは半年くらいでやめましたが(給料安くて厳しかったのと効果が感じられなかったのもあって)ササヘルスは2年半くらい続けました。・・・が、効果は感じられませんでした。

←アトピーには大きな効果は期待できないと思いますが、普通に健康づくりのためなら良いと思います。





・藤澤皮膚科(東京都練馬区)

ステロイドを使わない皮膚科です。
使った軟膏はアズノール軟膏でしたかね・・
治療としては

紫外線照射(紫外線の種類は何だったのか覚えてません)
超酸性水
強ミノとかいう注射(肝臓を強化する目的だったと思う)
イソジン

というのが主に試みたことです。

治療も何もしてなくてもアトピーは良くなったり悪くなったりします。それ以上の展開はありませんでしたね、ここの治療でも。
2年くらい通いました。

この頃に感染症を体験。
全身に粟粒のような膿を持ったできものが全身に出て、39度とか40度の高熱が出るのを何度か体験しました。
ブツブツが気持ち悪かったし高熱で体を動かすことは出来ませんでしたが、アトピーよりはその苦しみはラクで、しかも熱が出るとアトピーの皮膚炎は炎症がぐっと軽くなりました。
私がアトピーで辛そうにしているのを「精神的なものだ」とか「ストレスに弱い」だとか散々批難してた人たちも40度の高熱と聞くと優しくなったのが印象的でした。40度の高熱のほうがアトピーよりラクなんですが・・・
これは抗生物質をしばらく飲むことで治りました。
せっかく引いた皮膚炎も、暫くするとまた出始めました。


この間、皮膚炎は良くなったり悪くなったり。悪い時はリンパ液が染みだしてくることも。
調子いい時でも顔は赤いです。
皮膚炎が出ていると体もしんどくて、仕事中辛そうにしているのが職場の人には嫌味に思えたようです。
仕事を始めて2年半のところで、いきなり解雇されました。アトピーのせいで。28歳の6月でした。

そのあと、1ヶ月くらい自宅で寝たきりのようになり、いよいよ自殺する時が来たかと動けない体で思いましたが、なんせ体がつらい状態で自殺する元気もわかず。
でも、1ヶ月くらい引きこもってじっとしてるとまた皮膚炎が治まってきて、そうすると気持ちも軽くなって自殺のことなんて考えなくなって・・・

で、9月からまた仕事を始めました。
が、週に1度は徹夜作業がありまして。徹夜すると即日全身が痒くなってきて顔が真っ赤になって腫れてくるんですよね。勿論それだけ炎症がでれば体もつらい。
結局1ヶ月くらいでギブアップして、仕事の日数を減らしてもらいました。
で、この頃に始めたのが・・・

・CAC化粧品&パックバス

CAC化粧品は保湿力はすごいです。あと、洗顔料は今まで使った洗顔料の中で一番肌に優しかったと思います。経済的に今は使ってませんけど・・・
基礎化粧品は合う合わないがけっこう分かれると思います。私も洗顔料以外は調子悪い時につけるとかぶれますし。
良かったのは、パックバスです。
当時吉祥寺にCACのサロンがあって、これはけっこう利用しました。

茶色のドロドロの液体の中に浸かるんですけど、パックバスから出た後も皮膚が潤ってくれました。
全身にアトピーが発症してからここにくるまで、全身にプロペトを塗らないと体が突っ張って辛かったんですが、パックバスを続けることによって体になにもつけなくても過ごせるようになりました。

私はCACのパックを使うと顔がパンパンに腫れて赤くなって痒くなって、つまり合わなかったんですけど、なぜか同じ成分であるはずのパックバスは平気だったんですよね。

2年近く通いましたかねえ。通ってた時で週2回、その後は月1〜2回のペースで。

ちなみにサロンには病院も併設されてて、CACの化粧水か乳液みたいなのにステロイドを混ぜた薬を処方されましたが、これは塗った途端顔がかぶれたので、結局クリニックは行かずパックバスのみ利用してました。

パックバスはオススメです。今はこのへんだとサロンは千葉の流山ですかね。
真冬の皮膚の乾燥が辛い時にまた行きたくなります。


CAC化粧品のパックバス

アトピーは相変わらず良くなったり悪くなったり(悪い時には寝こむ)を繰り返し、ストロイドは使わず、CACの洗顔&化粧水&乳液とパックバスでだましだましで30歳くらいまで。

この頃、仕事は2〜3ヶ月勤めてはアトピーが悪化して辞め、1ヶ月くらい休んでまた仕事を始め、また2〜3ヶ月で辞めてアトピーがおさまるのを待ってまた仕事を始め・・・という綱渡りな生活をしていました。
当時はまだ派遣とか、仕事がありましたからできたことですけどね。



ああ、そういえばこの頃にもう一つ体験した治療が。

・波動水
・薬指の爪の付け根のところを針で刺し、血を30滴ほど出す治療

人に紹介されて行った自由診療の病院。
リポビタンDの瓶みたいなのに入った波動水というのがそこの売り・・・・
血を30滴出す治療は自宅でも自分で毎日やるようにと。自律神経を整える作用があるらしいが・・・・・

半年くらいでも通ったかしらね?
・・・・・・・可もなく不可もなく・・・・・・・・



さあ、いよいよあの有名な治療に30歳で出会います。

続く
posted by あかり at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 病歴

2012年06月04日

病歴2

さて、病歴の続きです。


●24歳

フローリングの部屋に引っ越しました。
この頃の症状は、リンパ液が流れたりするような状況ではないのですが、漫然とステロイドを全身に塗り続けていました。
顔はいつも赤く、全身の皮膚はカサカサでした。
顔がカッカして熱くて、よくアイスクリームを食べてましたね。
アイスを食べると口の中が冷えて、顔の火照りがちょっとラクになりましたね。
それから、夏にエアコンをかけると、ホコリなどに反応するのか、急に胸が苦しくなって意識が朦朧として、耳に聞こえる物音がどんどん遠くなっていき、体を起こしているのがしんどいので横になるしかなく・・ってのをよく経験していたのもこの頃です。
低気圧が近づくとアトピーがって言うより、体がだるくなるというか調子悪くもなりました。

で、治らないので病院と並行して次に始めたのが・・・


・漢方薬、鍼灸、松寿仙

当時岐阜に住んでいました。
どういう経緯でか知った鍼の治療院(奥さんが薬局をされてて、漢方を調合してくれる。)に通い始めました。
そこの先生曰く、そこの患者さんでアトピーの方で鍼治療でIgEが下がった方がいらっしゃるとか。
その言葉を信じて週1〜2日くらいですかね、通いました。奥さんが処方してくださる漢方も飲み続けました。そこで勧められた松寿仙という緑の液体も飲み続けました。
半年くらいは続けたと思いますが・・・・全てが可もなく不可もなくな治療でした。
鍼はいつも同じ所に打たれてましたね。

←これが松寿仙。
私には効かなかったし、あまりアトピーに特別有効とも思えませんが、血液は綺麗になりそうです。
20年後の今でもあるってことは、それなりになんらかの効果はあるってことかも?




さて、20年前の当時、病院での治療がダメだとすると東洋的発想の治療法しかなく。

当時、気功なんてのが流行ってまして、体内の気の流れをよくしたら病気がよくなるとかかんとか。
今思えばあまりにオカルト的な発想ですけど、何の情報もなく、今でもよくわからないアトピーが、当時はもっともっと全くわけわからない病気でして。

で、次に始めたのが・・・・




・導引術

あまり聞かないと思いますが、イメージとしては気功みたいなものです。
ヨガみたいに呼吸に合わせてポーズを取ったりして気の流れをよくするというものです。
導引術はヨガほど激しくありません。なので、病人にはヨガよりとっつきやすかったかな。
本気で治したかったので、30万くらい+月々の月謝1万くらいを払って半年くらい通いました。
道場に行かない日は自宅でみっちりと。
1日6時間。それがノルマです。
なにがなんでも治したかったので頑張りました・・・・が・・・・・・・・・・

結果はまたも可もなく不可もなく・・・・・・

結局どんな治療法を受けてもそうですが、こちらは本気で治したいから大枚払い、今の時間を犠牲にしても治すための努力を積んでいるというのに、結果が出ないと治療を施す側の人から「アナタが信じてないから治りが悪い」みたいなことを言われてしまうんですよね。
治療を施す側もあまりに効果の出なさっぷりにイヤになっちゃうんでしょうね。

そう、この頃からでしょうかね。
原因不明のこの病気に、最初は心配してくれていた周囲の人達から「怠け病」とか「贅沢病」とか「精神的なもの」とか言われるようになりました。




治療とは直接関係ありませんが、アトピーにならなかったら始めなかったので記録しておきますが、このころから食べ物は無農薬野菜の宅配に変えてます。


・無農薬有機栽培の野菜

10年くらい続けました。
高いですが美味しいです。
とくにアトピーが良くなるなんてことはありませんし、そのへんのスーパーの野菜でアトピーが悪化するわけでもありません。
でも、美味しい。
私がずっと利用していたのはコレ

らでぃっしゅぼーや

私、生卵は生臭いのと食感が気持ち悪いのとで食べられませんが、らでぃっしゅぼーやの生卵は美味しいと感じました。果物なんかもビックリするくらい美味しかったな〜
でも、仕事の都合とかであまり自炊出来なかった時期にやめました。
私、ししとうを食べると翌日顔がパンパンに腫れるので、ししとうが入ってきたらそのまま捨てることになるし、あまり自炊ができない時期にゴボウが続けて入ってきて、使いづらく感じてやめました。

・・・と思いつつ久々にサイトチェックしてみたら、もっと使い勝手のよさそうなサービスも始まってましたね。これならまた気楽に再開できるかも!最近は経済的に有機野菜なんて買えない状況ですが、探すと買いやすい金額のものも沢山ありますね。

らでぃっしゅローソン

因みに、今はもう何年も普通のスーパーの野菜を利用しています・・・・


さて、導引術で効果が出ず、次の治療を試みるのですが、いよいよここで脱ステを経験することになるのだ。

というわけで、次回に続く・・・

2012年06月01日

病歴1

こんにちは。あかりです。アトピーです。

このブログは、自分のアトピーの記録のために開設しました。
もし、同じ病気の誰か一人でも、少しでも参考になることがあればより良いと思い、どれくらい続けられるかわかりませんが、始めます。


というわけで、先ずは私のプロフィールと病歴をば。

現在44歳。女。独身で一人暮らし。無職。(4月にリストラになったのだ)


では、長いですが発症から経歴を追っていきます。
因みに私は子供の頃はアトピーではありませんでした。


●17歳
高校生。
アトピー発症。といっても手の指に湿疹が出る程度のものだった。
近所の皮膚科で軟膏(おそらくステロイド)を処方された。それを時々塗る。
湿疹が出るといっても、普通の人の肌と変わらない感じ。

●20〜22歳
大学生。一人暮らしが始まる。
やはり手には時々湿疹が出る。軟膏(多分ステロイド)を時々使う。
たまに額のあたりとか、稀に乳首とかにも皮膚炎が出るようになる。
でもまだ皮膚は普通の人の感じ。
アトピーとは直接関係ないが、激しい不眠症になった時期も。

●23歳
一人暮らし。半年ほど仕事をしていたが、ちょっとやりたいことがあって退職したその約1ヶ月後のことだった。
アトピー大爆発。
23歳から住み始めた部屋はマンションの1階で新築の物件だった。床はカーペット。
近所に機織り工場が何軒かあった。
新築のためのシックハウスなのか、カーペットにダニが大発生したのか、はたまた近所の工場が原因なのか原因は不明だが、1ヶ月くらいの間に一気に皮膚炎が全身に広がった。

あまりの全身の炎症の激しさに、それがアトピーとは思えなかった。というか、アトピーについては、ちょっと肌が乾燥して痒くなる程度の病気だという認識だった。
全身が真っ赤になり、特に顔全体から黄色い汁がダラダラ流れ落ち、皮膚は焼け付くように熱く。意識は朦朧として、体を動かすことも厳しくなった。尿も全然出なくなるし。

近所の薬局の人が見かねて、いい皮膚科があると紹介してくれた。
その皮膚科へある日の夕方に行ったのだが。
医師は見るなり「わあヒドイ。これは治らないかもしれない。」とか言うし、仕事してないなら夕方は混むから午前中来てくれとか言うし。
当時の症状はとにかく酷くて、体が動かせなくて、朝から体を動かそう動かそうとして、ようやく動けるようになって、這うような心持ちで診察に行ったのに・・・
どんな処方だったか忘れたが、ちっとも改善なく、最初の一回だけの診察でもう行かなかった。

当時は今みたいにネットなんてないので情報が少ない。それがアトピーとは思えず、全く意味がわからず、それこそ何かの呪いか祟りかと思った。
そんなとき、心霊好きの友人が連れて行ってくれた治療が・・・


・心霊治療(笑)

その霊能力者(?)は、岐阜の山間部の普通のおじさんなんですが、肝臓のあたりに手を当ててくれるんですね。
なぜか暫くすると顔からダラダラ流れていたリンパ液が止まるんですなあ、これが。なぜかはわからない。
何回か通ったのですが、そのおじさん、手を当ててくれればいいのに「先祖の霊が・・」「亡くなったお婆さんの霊が・・・」とかそういうことを言い出して・・・言われたとおりにお婆さんの霊をお寺で供養をしてもらったんですが、当然のことながら改善することなく。
自分の手に負えないと思ったその方は、その方の知り合いの、観音様と話せるおじさん(笑)の所に私を連れて行きました。
その頃の症状は、全身の炎症が激しく、座っていることも辛くて、皮膚が熱くて寒くて、でも毛布とかかけると汗(?)がびっしょりになって、意識は朦朧としている状態でした。
観音様のおじさん曰く、うちの実家の池の回りに塩をまいて清めよと。
・・・婆さんの霊じゃないのか。なんか、霊能者二人の見解が違ってますね。でもまあ言われたとおりやったけど、アトピーはそんなことでは治りません(笑)


・大学病院

大学病院なんて考えもしなかったけど、ついに大学病院に行くことに。
やっぱりアトピーでした、ハイ。
IgEは確か16000だったかと記憶してます。
ステロイドとプロペトを混合した塗り薬と、飲み薬(何だったか忘れましたが、普通の抗アレルギー薬だったかと)と、ツムラの漢方薬「消風散」が出ました。
ステロイドは良く効きました。消風散も良かったように思います。

・・・・が、アトピーの知識も無かった私です。このあと何の疑問も疑いもなくズルズルとステロイドを塗り続けることに・・・

この頃の皮膚の状態は、特に顔が酷くてリンパ液は出てはいませんが、真っ赤で、頭がクラクラするほど顔の皮膚が焼け付くような熱さで、たまらず氷水やタオルなどで冷やすほどでした。
体の内部もおかしかったのでしょう、生理もおかしくなりました。

さあ、それから何ヶ月か経ってもそれ以上良くならず・・・
ここから治療ジプシーの始まりです。

出だしが心霊治療ですからね(笑)
先が思いやられますね(笑)
心霊治療とか笑い話だけど、当時は助かりたい一心で真剣そのものでしたね。だって、23歳で人生が終わるなんて思いたくないもの・・・



続く